2014/07/02

この歳になってファミレス大好き!

突然だけど、食べ物メッセージ続きます。話はあっちこっちに飛びます!飛びます!コント55号面白かったなぁ

家族に聞けばわかるけど、小生あまり、それほど外食好きじゃなかった。

きっと、疲れて、帰宅後外で食べるなんてまっぴらだ!と。レストラン、居酒屋、、いずれも結構音が大きい。パワーある若者の笑い声が凄い!あれで、一気にこちらは疲れる。

じゃぁ、かといって静かな、白いテーブルクロスの銀の食器で、うしろにウェイターがいるような食事は、それはそれで肩が凝るし、慣れてない。

ほんとに、食習慣って幼児体験が大きな影響を与えてると思う。私自身の幼児体験なんて思い出せないから、せいぜい思い出すのは恵比寿に引っ越してきた55年頃のことだ。

いまのたからぎ医院は、当時両親による薬局で、通りは未舗装。雨が降るとぬかる。店内は泥だらけ。裏の渋谷川も護岸工事なんかされなくて、いまの通称タコ公園で野球して、球が川に落ちると、川岸を滑り降りて拾った。

小学校は、当時うちの住所だと広尾小学校だけど、入学前の遊び仲間が長谷戸小だったので、親が区?に掛け合ってくれて長谷戸に入学した。ほんとに感謝してます。楽しい6年間。あまり記憶にない中学は鉢山だたったけど、面白くなかったのかも

朝起きると新聞と牛乳を取り、渋谷橋渡ったところにあったパン屋さんで朝のパンを買う、これが僕の仕事だった。

低学年の記憶はほとんどない。でも、学校下にあった公園でさんざん遊んで、日が落ち、腹が減って帰る。これの繰り返しだ。

両親が店番交代でするから、家族全員同じテーブルって記憶は、どうだったかな、、正月くらいかな。両親はとにかく働き者だった。8時過ぎに店をあけて、店の前の掃き掃除、夜10時過ぎに閉める。閉めてから計算、帳簿つけ。

小学校高学年になったら「釣り銭の準備」をさせられた。いちいち数えなくても10円玉10枚すっとつかむ競争を弟とやった。そのうち夜の計算、その日の売上とか。

小さな小売の薬局は、とにかく多品目。在庫管理が大変だったと思う。年末には棚卸しも手伝った。紅白歌合戦を見て除夜の鐘聞いてお休みなさい。

うちは確か56-8年頃に白黒TVが入った。うちに来る卸の人が趣味で秋葉原で部品買ってTVを組みたてていて、作ってもらったとか。父は学生時代剣道部で、TVはボクシングやレスリングが好きだった。

そのTVは店番する場所にあるので、下校後見るなんてできない。だから、だいたい暗くなるまで外で遊んだ。

月光仮面とか見た記憶があるけど、一番はっきり覚えているのは、あちらのTVドラマ。ライフルマン、拳銃無宿、ローハイド、サンセット77、うちのママは世界一、ハワイアンアイ、サーフサイド6。結局これはおやじも好きだったってことだ。こんな歌を聴いて当時の小学生の男の子はどうしたのかな(笑)

僕が橋幸夫らの歌好きにならずにあちらの歌を聞くようになり、FENなんか訳もわからずに聴いたのは、やはり親の影響ですね。

ファミレスの話しじゃないのか、、食事に戻そう。

家族全員同じテーブルにつくのが珍しかった。食事の内容の記憶がない。登下校の途中で物を買って飲み食いする習慣がない。そもそも小遣いが少ないし、そんな場所もない。小遣いは食べ物より欲しい物のために貯めた。

甘い物が周りにそんなに潤沢になかった。おやつはあられとかお煎餅。たまにお客さんが見えて、お土産のケーキなんていうと大変な騒ぎだ。

それとは逆に、祖母を訪ねる時は駅前の不二家でエクレアとシュークリームを買って行くので、とても楽しみだった。

夏は、僕と弟の仕事が増える。やかんでお湯を沸かして、麦茶を作り、洗面器に水を張って冷やす。自分も飲むから丁寧に作る(笑)。スイカを買ったら、そのままタライで冷やす。なにしろ電気冷蔵庫なんてなく、確か、氷を買って入れる冷蔵庫だったな。いまの恵比寿1丁目交差点の角、いまの携帯電話ショップのところに夏は氷、冬は炭と練炭を売る店があった。

お中元、お歳暮の時期には親が品物選びにデパートへ行くので、とにかく着いていけば、食堂で食べて、屋上の乗り物に乗れる。でも、何を食べたか記憶にない。

でも、一つだけ鮮明に覚えていることがある。それは、64年のミロのビーナスが東京にきたときのことだ。いまなら、カップルで行くだろうけど、当時、少なくとも僕の周りの高校生がカップルで、なんてありえない!なぜか小中の同級生の男女数人で見に行った。誰が音頭とったか記憶にない。少なくとも小生ではない。そんな才覚はない!

さて、ミロのビーナスが日本に来た!上野の国立西洋美術館で見たことになってる。記憶をたどると、並んだ列は確か、西郷さんの銅像付近の階段下まで伸びて、待つこと何時間。

やっと展示会場に入る、ビーナスを真ん中に螺旋階段ふうにぐるっと一周、あっと言う間に見終わる。お腹が空いたね、というわけで、文化会館の食堂にでむいた。

でね、何を注文するか?女性軍はスパゲッティなるものを注文してる。男性軍はカレー。で、なんと何を血迷ったか、僕はスパゲッティを注文したのだ。だって、食べたことなかったし、お皿の上にうどんのように見えたから。

ところが、眼の前に出されたスパゲッティを見て、まいった。なにしろフォークだ。スプーンがついていたかどうか記憶にない。スープ、サラダがついてたかな。そもそもスープ、サラダなんて馴染みがない。きっと女性軍の食べ方を見よう見まねで食べたに違いない。恥ずかしかったから、、いまでも覚えているんだな(笑)

で、高校時代の友達との外食で記憶にあるのは、新宿紀伊國屋地下の、スパゲッティコーナー(仲間うちではスパコ)。いまググったらスパゲッティ店は2つある。通りに近いほうだと思う。カウンターしかなかったな。そこで、たまに仲間と食べた。スパゲッティが流行ってたのかも。

その後、大学でも勤務医時代もそんなグルメでもなかったし、多分、いまでも味音痴かも。

そんな小生、前期高齢者になり、友人から勧められてスロージョギング始めて、更に、肥満でもないのに糖質制限食に目覚め、、蛋白質、脂質多めの食生活に変わった。

となると、外食も店を選ぶ。食べやすいのは居酒屋、ファミレスのように単品でいろいろ頼めるところ。

ファミレスはだいぶ前にこりて行かなかったけど、久しぶりに行ってみたら、かなり旨い!歩いていける所にも、車でちょっとの所にも、それぞれ特徴がある。

いずれもご飯、パスタ、うどん、そば抜きのメニュー豊富。カロリーなんか明記されてる。できれば糖質も記載されてると嬉しいけど。コンビニの品揃えでも「無糖」商品が増えてる気がする。

それから、、先日、中華の日高屋に行って、レモンサワーと単品でいくつか食べて満足だったので、その並び、並びといっても数十mだけど、王将に行った。

王将も日高屋も店内のテーブルなどの配置は似てる。似ちゃうんだね。で、ハイボール、ニラレバ炒め、海老チリ、餃子3個。奥さんと一緒だけど、既に食べてきたというので、彼女は生ビールと注文した料理をちょっと摘む。餃子2個は彼女が食べた。



この王将に行く前に自宅で血糖を測ったら、、午後6時106。歩いて数分お店。奥さんくるまで外で待つこと10分。食べ終わって、彼女は買い物に、僕はスロージョギング、足元はクロックス、数分。

食事開始後1時間強で帰宅、血糖は120,そこで、戴いた食べごろの夕張メロンを1/3平らげて1時間後血糖121。ご飯抜きなら食後高血糖はかなり回避できるね。

食べてすぐジョギングはいかがなものか?という声も聞こえてきそうだけど、まぁ、いいでしょう。久しぶりのハイボールも美味かったしね。まぁ、いいでしょう!の毎日です。

源泉徴収税納付してきたけど、それにしても今日は暑い!まぁ、しょうがないね

これから本格的な夏に向けて電力を心配する向きがあるけど、これが「でんき予報」です。


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