2014/06/01

井戸を掘った人を忘れない

いま僕は1週間後のいわて銀河100kmマラソン大会駅伝部門5地区の6.8kmを楽しく走るために練習している。これまでこんなに長く走ったことはない。

記憶に残る長距離は、高校のマラソン大会だ。マラソンといっても勿論マラソンじゃない。たぶん1~2kmくらい。季節は冬だと思う。その練習に校門出て明治通を南に、北参道交差点を千駄ヶ谷方面に左折、千駄ヶ谷を四谷四丁目へ、左折して新宿御苑横を校門まで。

どのくらい時間かかったか忘れたけど、いまのようなしっかりしたランニングシューズもないけどなんとかなるもんです。

この高校のマラソン大会で記憶に残ることは、同級のH君だ。彼は剣道部で、なんと防具をつけて、面はつけてなかったけど、竹刀を片手に時々手拭いで汗を拭いて走る姿が眼に焼き付いている。

そのH君を含む仲間で毎日トランプのナポレオンしたり、休日には麻雀したり、話ながら歩いて帰宅することも。その仲間はそもそも1年夏休みを控えたある日、それまで余り交流のなかったT君が、週末に雲取山に一緒に行こうと誘ってくれた。

T君は一年生部員二人の山岳部。ちなみに私は工芸部、名前は間違ってるかもしれない、これも1年生の部員は私を入れて3人。運動苦手、あの運動部の汗くさいのが苦手。
で、そのT君から声かけられて、数人。雲取山に登った。コースは、鴨沢バス停から登り、七ツ石小屋で1泊、翌日、雲取山、三条の湯によったかな。

このメンバーはその後も高水三山、尾瀬ヶ原、八ヶ岳、学生村のようなところで夏休みを過ごした。高校卒業後も、疎遠なメンバーもいたけど、新宿の中村屋のパブで飲み会なんかしてた。
去年の晦日に久し振りに奥さん同伴で食事会をした。

男どもは、いまでもジョンレノンばりのK君、多分いちばん社会人らしいH君(剣道部ではなくてテニス部の)、東大卒後に筑波で医者になった優秀なK君、それに小生、いつもの話、奥さん連中は数年ぶりでも全く関係ない、まるで毎日会ってる友人のように。あっという間に時間が過ぎる。

こんな仲間作りも、最初はT君だ。彼には感謝してる。僕の記憶に残る楽しい高校生活も彼が声をかけてくれたから。運動嫌いの僕が大きなキスリングを背負って、ただ黙々と登る。山歩きから離れた時期があったけど、また近くの低い山に登ってる。

話を元の駅伝に戻す。全国の小児科医仲間のML、これも10年以上続いてる。Line,twitter,facebookもなかったけど、今は死語となったBBSからメーリングリストに変えてずっと続いてる。

南は沖縄、北は北海道の小児科医、いずれも日本外来小児科学会のメンバーで、年次集会のWSの続きをしたい、毎日気楽にメールのやり取り、テーマは何でも、みんな顔見知りで、心から信頼してる仲間です。日本外来小児科学会がなければ、今の仲間にはあえなかった。

そのメンバーにはフルマラソン走るおっさんおばさんがいて、その一人、青森県のS君が、いわて銀河100kmマラソン大会の駅伝のメンバーを募った時に、誰でもいいと言うので、長距離初心者、前期高齢者でも大丈夫?と、聞いたら、OK、6.8kmの区間が最短。これに決めた。

さて、長距離走った経験もないけど、練習をどうするか?そんな時に、スロージョギングとヲーキングを短時間で繰り返すのが楽でいいとMLで知って、試した。

毎分180歩のジョギングを1分、120歩のウォーキングを30秒、これをセットに繰り返す。これだと1時間行ける。きっともっと行ける。なかなか毎分180歩は難しいけど、要は歩かずに小刻みに、いわゆる小走り。

実際に行けるかどうか、近所の公園まで1km,公園一周1.2km。これで4周するとなんとちょうど6.8km。この駅伝の区間のためにあるみたい。これを1時間くらいで行けた。

スロージョギングウォーキングインターバル走法だとずっと何処までも行けそうな気がする!(天津木村のように)。24時間マラソンの城島くんもこれでやれば簡単。

でも番組上は簡単じゃダメ、辛くないとね、たぶん。どうも辛いこともあったけど克服した英雄か。簡単に楽にこなしてはテレビドラマ的にはダメなんだ。

50年前の東京オリンピックのマラソンで優勝したエチオビアのアベベが、ゴールした後も 俺まだ走れるよ!的な動きはとても印象強く記憶にある。

勿論アベベとは雲泥の差だけど、いつかこれで100km突破したいな。途中脱落した時は電車で帰れる東海道なんかどうだろう。

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